箱根駅伝の歴代最強外国人ランナー!オツオリ&マヤカ&ニャイロの現在は?


外国人ランナーが箱根駅伝をはじめて走ってからすでに2019年大会で30年になろうとしています。

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の歴史の中で、初めて外国人留学生が登場したのが1989年の65回大会。

その後20年間、4校から12人の留学生ランナーが箱根路を走りました。

箱根駅伝の外国人ランナーというと、山梨学院大学のイメージが強いですよね。

2018年の箱根駅伝では、2人の外国人留学生が花の2区を走りました。

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山梨学院大学3年 ドミニク・ニャイロ選手(ケニア出身)
拓殖大 3年   ワークナー・デレセ選手(エチオピア出身)

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山梨学院大学のドミニク・ニャイロ選手は13人抜きで区間新記録に近いペースで快走。

拓殖大学のワークナー・デレセ選手も8人抜きで同様に快走しました。

箱根駅伝の外国人ランナーたちは、その恵まれた体格でエース区間である花の2区を駆け抜け日本人選手をごぼう抜きするイメージが強いですよね?

箱根駅伝を走る外国人ランナーについては、今でも賛否両論ないろんな意見があります・・

でも、外国人留学生も本気で戦っていることだけは間違いないですね。

箱根駅伝を走った外国人ランナーは、大学卒業後何をしてるのでしょうか?




ジョセフ・オツオリ

箱根駅伝の歴代最強外国人ランナーを語る時にまず真っ先に出てくるのは絶対にジョセフ・オツオリ選手です。

箱根駅伝の外国人=オツオリという強烈な印象がいまだにあります。

オツオリ選手が箱根をかけぬけてからもう30年なのに・・

ケニアからの留学生ジョセフ・オツオリ選手は箱根駅伝初の外国人ランナー。

山梨学院大学の上田監督がケニアで見つけてきた逸材です。

山梨学院大学の留学生は全員がグシイ族で同郷であることが知られています。

グシイ語という言葉もあるんですね。

1989年に“花の2区”を激走し、7人抜きの区間賞で華々しいデビューを飾りました。

3年連続で2区の区間賞を獲得し、留学生ランナーの強さを証明した存在です。

30年前には、まだ地方の新興大学だった山梨学院大。

外国人ランナーを起用して伝統校と真っ向勝負を挑みます。

山梨学院大は15チーム中7位という成績を収めシード権を獲得。

ケニアからの留学生オツオリ選手はただ足が速いだけの男ではありません。

とにかくまじめなオツオリ選手の姿勢も日本人選手に大きな影響を与えました。

大学卒業後のオツオリは実業団に入ったオツオリ選手。

しかし度重なるけがで現役を引退。

その後は指導者の道を歩んでいました。

しかし、2006年に母国ケニアで交通事故に合い37歳の若さで急逝してしまいます。

2006年9月4日に『クイズプレゼンバラエティーQさま!!スペシャル』の「全員で鬼ごっこ」のコーナーで、鬼役で出演したのが日本での最後のテレビ出演でした。

チームメイトや監督からも愛されるキャラクターで、好成績を残したオツオリ選手の死去・・

日本でもニュースになったので知っている方も多いと思います。

箱根駅伝に及ぼしたインパクトは間違いなくオツオリ選手が一番だと思います。

山梨学院大学にはオツオリ選手の功績を称えるメモリアルモニュメントが設置されています。

ご冥福をお祈りします。

ステファン・マヤカ(現真也加ステファン)

オツオリ選手が卒業した後に山梨学院大学に入学したのがステファン・マヤカ選手。

1年時からエースが集まる2区を任されチームの総合優勝などに貢献します。

マヤカ選手はライバル渡辺康幸さんと2013年に対談しています。

ステファン・マヤカ選手と渡辺康幸選手は同学年で毎年箱根駅伝デットヒートを繰り広げました。

ステファン・マヤカ選手の活躍で山梨学院大学はなんと2連覇を達成・・!

残念ながら4年生の時には4区で棄権となってしまい3連覇は達成できませんでした。

ステファン・マヤカ選手はその後日本国籍を取得し指導者として活動しています。

現在は真也加ステファンさんとおっしゃるんですね。

奥様も日本人の陸上選手で、お子さんもいらっしゃるそうです。

日本語でのコミュニケーションにも全く問題がないようです。

見た目は外国人なので、あまりの日本語の上手さにビックリされることが多いみたいです。

ステファン・マヤカ選手は2013年から桜美林大学の監督として箱根の舞台を目指しています。

2018年にはステファン・マヤカ監督が指導した選手が関東学生連合ではじめて箱根を走りました!

↑感動して泣きそうになりましたよ!!

そして・・昨年の箱根駅伝の予選会ではステファン・マヤカ監督が指導した留学生レダマ・キサイサ選手が予選会で1位になりました。

いつか・・

真也加ステファン監督を箱根で見る日も近いでしょう!

メクボ・モグス

約10年前、2009年の箱根駅伝を走った山梨学院大のメクボ・モグス選手。

メクボ・モグス選手は1年生の時から花の2区で区間賞という活躍を見せました。

その後も活躍し、瀬古利彦さん以来となる29年ぶりの2区での連続区間新記録を樹立した選手です。

花の2区で連続区間新記録・・

まさに規格外としかいいようがない選手ですね。

大学卒業後は2011年10月までアイデムに在籍。

2012年4月から2014年12月までは日清食品グループに在籍。

2015年4月からはサンベルクスに所属して活躍しています。

ギタウ・ダニエル

外国人ランナーがいるのは山梨学院大学だけではありません!

花の2区でのごぼう抜きといえば、日大のギタウ・ダニエル選手の存在を忘れてはいけません。

記念大会のため通常より2校多い23チームによるレースとなった大会では花の2区での20人抜き!

現在は富士通陸上競技部に所属しています。

ドミニク・ニャイロ選手(山梨学院大学4年在学中)

山梨学院大ドミニク・ニャイロ(4年)が来春の進路先として実業団チームのNTT西日本を選んだとのことです。

日大の日大パトリック・ワンブィ選手も同じくNTT西日本へ。

ケニア人留学生2人が同じチームに進むことは異例で、NTT西日本にとっても初めての外国人選手。

箱根駅伝ではニャイロは1~3年時にいずれも2区を走り2位、9位、区間賞。

トラックと駅伝で激しい戦いを演じているニャイロ選手とワンブイ選手。

春からチームメートとして互いを高め合い、長距離王国のケニア代表を目指します。

箱根駅伝の歴代最強外国人ランナー!オツオリ&マヤカ&ニャイロの現在は?まとめ

箱根駅伝の歴代最強外国人ランナーをご紹介しました。

箱根をはじめて走った外国人ランナーのオツオリ選手が37歳で亡くなられたことが何よりも残念です。

マヤカ選手は現在は桜美林大学で駅伝を指されていて、すでに教え子を箱根駅伝に出場させた実績を持っています。

近い将来、箱根でマヤカ監督の姿をみることができそうですね。

今後も、“最強外国人ランナー”を証明する走りを見せてくれる留学生が現れるでしょう!

最後までお読みいただきありがとうございました。




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