潜伏キリシタンが世界遺産に!12の関連遺産への行き方!教会や集落が世界遺産!

帰省しない 理由 親不孝


2018年6月30日、”長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”の世界文化遺産登録が決定しましたね!

長崎県出身の福山雅治さんも、”長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”の世界文化遺産登録を祝福しています。

 

潜伏キリシタンの背景にある歴史を知ることで、これからの人類の平和につながるきっかけになることを願います。

世界遺産になることが決定したのは長崎や天草地方にある”教会”だと思っていませんか?

実は、世界遺産になるのは教会ではなくて潜伏キリシタンの集落などの関連遺産です。

”長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”が世界遺産になったことで今後多くの人が長崎や天草地方を訪れることになると思います。

”世界遺産になった長崎や天草の潜伏キリシタンの教会を観光にいこう!”

ではなく、あくまでも世界遺産になったのは潜伏キリシタンの集落などの関連遺産です。

長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は以下のような12の資産で構成されているのです。

  • キリシタンが潜伏するきっかけとなった原城跡
  • 信仰を実践し共同体を維持した集落
  • 潜伏キリシタンが転機を迎えるきっかけとなった大浦天主堂
  • キリシタンの潜伏の終焉を示す江上天主堂

こちらの画像で見ると潜伏キリシタンの関連遺産の位置関係がわかりやすいです。

潜伏キリシタンの12の関連資産について、潜伏キリシタンの歴史と共にみていきましょう。




①キリシタンが潜伏するきっかけとなった原城跡(長崎県南島原市)

長崎県南島原市にあった原城跡は、キリシタンが「潜伏」し、独自に信仰を続ける方法を模索することを余儀なくされたきっかけとなる島原、天草一揆があった場所です。

 

日本でキリスト教への弾圧が始まったのは今から400年も前の1612年の禁教令が発端とされています

禁教令とはある宗教を信仰したり布教したりすることを禁ずる命令(法令)のことです。

そして、キリスト教への弾圧は明治初期(今から150年ほど前)まで続くことになりました。

全国的に禁教政策が進む中で、原城を主戦場とした”島原、天草一揆”(1637年)は江戸幕府に大きな衝撃を与えました。

島原、天草一揆によってカトリック宣教師の潜入の可能性のあるポルトガル船の来航は禁止され、国内宣教師の不在という状況をもたらしてしまったのです。

そして、キリシタンは潜伏を余儀無くされることになりました。

潜伏キリシタンたちはひそかにキリスト教への信仰を実践しながら、住む場所、移住先を求めていったのです。

原城跡への行き方

  • 所在地:長崎県南島原市南有馬町
  • 島鉄バス:原城前バス停より徒歩15分
  • 国道251号線沿い、南有馬町にはいると案内あり

②平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)(長崎県平戸市)

禁教令によって日本各地にあった潜伏キリシタンの集落は途絶えて行きました。

しかし、キリスト教が日本にやってきたときに最も宣教が盛んだった長崎や天草地方ではキリシタンの共同体がひそかに維持されていたのです。

長崎、天草地方の潜伏キリシタンは独自に信仰を実践するにはどうしたら良いのかを考えました。

そして、山や島、または生活や産業に根ざした身近なもの聖画像や神社などを拝むことで信仰を続けていったのです。

長崎県平戸市にある平戸の聖地と集落は、キリスト教が伝わる以前から信仰されていた”山”やキリシタンが殉教した島を拝むことで独自の信仰を実践した集落です。

平戸の各地では厳しい取り締まりにより多くのキリシタンが殉教したという悲惨な歴史があります。

平戸の聖地と集落は、潜伏キリシタンが何を拝むことによって信仰を実践したのかを示す4つの集落のうちの一つです。

長崎でキリスト教布教の最初の地である平戸には、16世紀の布教当時の景観を残す春日集落があります。

春日集落には神仏の信仰対象である石碑や石祠などがあり、今も先祖から伝わる信仰を守り続けている人々がいるのです。

 

安満岳への行き方

潜伏キリシタンはキリスト教が伝わる以前から山岳仏教信仰の対象であった安満岳(やすまんだけ)を拝むことで独自の信仰を実践したのです。

神、仏、キリシタンの三位が存在する安満岳は平戸島の聖地とされてきました。

  • 長崎県平戸市春日町
  • 佐世保駅前から平戸桟橋まで西肥バス(約90分)
  • 平戸桟橋から春日まで車で30分

③平戸聖地と集落(中江ノ島)(長崎県)

中江ノ島はキリシタンの殉教地であり、聖地でもある無人島です。

長崎県の平戸島と生月島双方から約2キロの沖合にある長さ400m、幅50mの小さな小さな島です。

1622年、神父を助けた平戸の信徒たちが処刑されたのが中江ノ島。

隠れキリシタンは信徒たちは聖水をくむために、荒波を越えて島へと渡っていました。

春日集落の潜伏キリシタンは、キリシタンの処刑が行われた中江ノ島を殉教地として拝みました。

中江ノ島は上陸不可

注:中江ノ島は上陸不可の場所ですが、本土から見渡すことができます。

 

④天草の﨑津集落(熊本県天草市)

”長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”の中で唯一熊本県にあるのが熊本県天草市にある津崎集落です。

 

天草の津崎集落は、潜伏キリシタンが何を拝むことによって信仰を実践したのかを示す4つの集落のうちのひとつです。

天草の津崎集落は、身近なものを信心具として代用することによって信仰を実践した集落です。

禁教期の天草の津崎集落の潜伏キリシタンは、身近なものを代用して独自のキリスト教への信仰を実践していたんですよ。

  • 大黒天や恵比寿神はキリスト教の唯一神であるデウス
  • アワビの貝殻の内側の模様は聖母マリア

天草の津崎集落は小さな漁村です。

潜伏キリシタンは漁村特有の生活や生業に根差した身近なものをキリシタンの信心具として代用することで独自の信仰を実践したんですね。

津崎教会への行き方

天草の津崎集落には、民家に取り囲まれるようにして津崎集落のシンボルである津崎教会があります。

天草の津崎集落が潜伏キリシタンの関連遺産で世界遺産になったことで、多くの観光客の方が訪れているようですね。

  • 天草市河浦町﨑津539
  • 熊本市から車で(国道266号経由)2時間40分
  • 九州自動車道松橋ICから車で2時間10分
  • 天草空港から車で45分
  • 「教教会入口」バス停から徒歩1分

⑤外海の出津集落(長崎県長崎市)

長崎市にある外海の出津集落は、キリスト教由来の聖画像をひそかに拝むことによって信仰を実践した集落です。

外海の出津集落は、潜伏キリシタンが何を拝むことによって信仰を実践したのかを示す4つの集落のうちのひとつです。

禁教期の出津集落の潜伏キリシタンは。自分たちの信仰を隠しながらキリスト教由来の聖画像をひそかに拝むことで信仰を実践していました。

出津集落から多くの潜伏キリシタンが五島列島などの離島部へと移住し、彼らの共同体が離島各地へと広がることになったのです。

 

出津教会への行き方

外海に赴任したド・ロ神父がまず取り組くみんだのが出津教会の建設でした。

出津教会は信徒たちが山から切り出した材木を運び、海路で運ばれてきた煉瓦を浜から担ぎ上げてつくられました。

出津教会は、風が強い外海の気候を考慮して軒高を低く抑えたといわれています。

  • 長崎県長崎市西出津町2633
  • JR長崎駅前から出津しつ文化村まで長崎バス(約1時間6分)→徒歩約15分
  • 大野教会堂の最寄りのバス停である大野から出津文化村まで長崎バス(約4分)

⑥外海の大野集落(長崎県長崎市)

外海の大野集落は、神社にひそかにまつった自らの信仰対象を拝むことによって信仰を実践した集落です。

外海の大野集落は、潜伏キリシタンが何を拝むことによって信仰を実践したのかを示す4つの集落のうちのひとつです。

禁教期の大野集落の潜伏キリシタンは、表向きは仏教徒や集落内の神社の氏子となって大野集落に移住し生活しました。

潜伏キリシタンは、大野集落の神社に自分たちの信仰対象をひそかにまつって拝むことによって信仰を実践したのです。

外海の大野集落から多くの潜伏キリシタンが五島列島などの離島部へと移住し、彼らの共同体が離島各地へと広がることになったのです。

大野教会堂への行き方

建設当時、信徒世帯がたった26戸だった大野教会堂。

信徒世帯の数は年々減少し、2000年頃にはごく少数となってしまいました。

大野教会堂は使われなくなったが、年に一度だけここで記念のミサが行われています。

  • 長崎県長崎市下大野町2619
  • JR長崎駅前から大野おおのまで長崎バス(約1時間10分)→徒歩約10分
  • 見学の際には事前に予約をしてください。

⑦黒島の集落(長崎県佐世保市)

黒島の集落は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちのひとつです。

19世紀、長崎地方各地の潜伏キリシタンは、黒島の牧場跡の再開発のために移住が奨励されていることを知りました。

潜伏キリシタンは黒島を既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住したのです。

潜伏キリシタンは表向きは所属していた仏教寺院でマリア観音に祈りをささげていました。

黒島での潜伏キリシタンはひそかに共同体を維持したのです。

黒島天主堂への行き方

黒島天主堂は禁教時代にキリシタンが潜伏しながらも信仰を守り続け、信仰復活の証として敬虔な信徒の労働と寄付により建てられた黒島集落のシンボルでもある教会です。

  • 長崎県佐世保市 黒島町3333
  • 佐世保市相浦港から黒島白馬港までフェリー(約50分)
  • →徒歩(約30分)

⑧野崎島の集落(長崎県北松浦郡小値賀町)

野崎島の集落は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちのひとつです。

19世紀、外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、沖ノ神嶋神社神官と氏子しか人が住んでいなかった野崎島に移住しました。

沖ノ神嶋神社の氏子としてキリスト教への信仰を隠し、ひそかに潜伏キリシタンの共同体を野崎島で維持したのです。

旧野首教会への行き方

野崎島に建つ旧野首教会は、野崎島のちょうど中心にあたる小高い丘の上に残るレンガ建築の小さな教会です

  • 長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷
  • 小値賀港から野崎港まで町営船(約35分)
  • ※見学を希望される場合は、事前におぢかアイランドツーリズム協会に連絡が必要です。

⑨頭ケ島の集落(長崎県南松浦郡新上五島町)

頭ヶ島の集落は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちのひとつです。

19世紀、外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は病人の療養地として人が近づかなかった頭ヶ島を移住の適地として選びました。

仏教徒の開拓指導者のもとでキリスト教への信仰を隠しつつ頭ヶ島の集落に移住し、ひそかに潜伏キリシタンの共同体を維持したのです。

頭ヶ島天主堂への行き方

石材に適した砂岩が広く分布する頭ヶ島白浜集落。

信徒たちは、1日に2、3個の石を運び積み上げ約10年という年月をかけて頭ヶ島天主堂を完成させました。

  • 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷頭ヶ島638番地
  • 有川港から車(約20分)
  • 奈良尾港から車(約70分)
  • 鯛ノ浦港から車(約30分)
  • 青方港から車(約35分)

⑩久賀島の集落

久賀島の集落は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たりどのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちのひとつです。

18世紀後半以降、外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は五島藩が積極的に久賀島に開拓移民を受け入れていることを知りました。

既存の集落と共存できそうな場所として久賀島の集落を選んで移住し、漁業や農業で住民とと互助関係を築きながらひそかに潜伏キリシタンの共同体を維持したのです。

集落の中には、1931年に完成した旧五輪教会堂があります。

旧五輪教会堂の行き方(長崎県五島市)

1931年に完成した旧五輪教会堂。

1985年には五輪集落に新しい教会堂が建設されましたが、旧五輪教会堂が現在もなお維持されています。

旧五輪教会堂のある地区は久賀島の中でいまだに直接車で行くことができない孤島の中の孤島です。

旧五輪教会堂は老朽化が進んで何度も取り壊しが検討されましたが、教徒さんの尽力により移築され、現在もその姿を残しています。

旧五輪教会堂はインフォメーションセンターで予約すれば見学できるようです。

  • 長崎県五島市蕨町993ー11
  • 福江港から田ノ浦港までフェリー(約30分)
  • 田ノ浦港から駐車場まで車(約40分)
  • 駐車場から徒歩(約10分)

11.奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)(長崎県五島市)

長崎県五島市奈留島の江上集落は、キリシタンの潜伏の終焉を示す構成資産です。

 
外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、奈留島の人里離れた海に近い谷間に移住しました。

そして、自分たちの信仰をひそかに続け、解禁後はカトリックに復帰して地勢に適応した江上天主堂を建てたのです。

江上天主堂への行き方

江上天主堂は五島列島の奈留島の江上集落にある教会堂で、江上集落のシンボルとも言える存在です。

江上天主堂は、禁教期の集落との連続性を高く示し、風土に溶け込むように立地するとともに、在来の技術が用いられた教会堂の代表例です。

江上天主堂は今からちょうど100年前の1918年に建設されました。

  • 長崎県五島市奈留町大串1131
  • 奈留港から車(約20分)

12.大浦天主堂(長崎県長崎市)

大浦天主堂長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。

日本に貿易でやってきたフランス人たちがお祈りできる場所として作られたのが大浦天主堂です。

大浦天主堂は幕末に潜伏キリシタンが神父に信仰を告白した場所として有名ですね。

1549年にザビエルが来てから、日本にキリスト教が広まる一方でキリシタンに対する弾圧はどんどんひどくなっていきました。

日本のキリスト教の歴史をたどってみると、キリシタンは200年以上にもわたる長い迫害の時代をすごしています。

特に明治初期のキリシタンへの弾圧はすさまじいものだったのだそう。

隠れキリシタンは250年もの間、キリスト教の指導者を欠いた状態で仏教徒のフリをしながら隠れて生きていたのです。

鎖国政策がとかれ、厳しいキリスト教への迫害が少し穏やかになったときのことです。

1865年3月17日、キリスト教への厳しい弾圧を不屈の信仰をもって耐え忍んできた人々の子孫たちは、建てられてまもない大浦天主堂を訪れました。

そして、大浦天主堂の神父にキリスト教の信仰をもっていることを告白したのです。

大浦天主堂は宣教師との接触という、キリシタンの潜伏が終わるきっかけとなる信徒発見の場所です。

大浦天主堂への行き方

  • JR長崎駅前から大浦天主堂下まで路面電車
  • 長崎県長崎市南山手町5-3

潜伏キリシタンが世界遺産に!12の関連資産の行き方!教会や集落が世界遺産!まとめ

”長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”の世界文化遺産登録が決定し、これから集落や教会を訪れてみようと考えている人も多いと思います。

教会は祈りの場ですので、見学マナーを守り厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしくださいね。

教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるので注意しましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。




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